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新聞投書欄の「卒母のススメ」が好きになれない理由


「努力は実を結ばないと教えてくれた」新聞の投書欄に寄せられた「卒母のススメ」が話題に - Togetterまとめ

この記事を読んで思ったこと。

私は一読して「うへえ、理想通りにならなかったからと言って自分の息子をこんなにけなして嫌な母ちゃんだな」と思ったんだけど、この新聞投稿をユーモアがあるとか、ほのぼのしたと捉える人が結構多いらしい。

この短い文章だけでは投稿者の家庭の状況も分からないということは大前提だし、各人の考え方によって受け取り方は様々だと承知の上で、なぜ私個人としては「うへえ」という感想しか出なかったのか考えた。

まず、自分の親が自分のことを、或いは夫の親が夫のことを題材にこういう投稿をしたら、かなりイラッとすると思うから。

あとは、自分の子供が大きくなったときに、自分の子供を題材にこういう投稿をする心理が想像できないから。

この投稿者が、愚痴のつもりでこの文章を書いたのかユーモアのつもりで書いたのか、文章を何度読み返しても確信が得られないのだが、愚痴のつもりで書いたのなら「親だからと言って子供を思い通りにコントロールしようとするべきでないのでは」と思うし、ユーモアのつもりで書いたなら「匿名とは言え新聞投稿で息子を茶化すのは、謙遜が過ぎるのでは」と思う。

 

謙遜というキーワードが出てきたのは、数日前にこれを読んだからだろう。


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謙遜は好きな文化ではないが、実際には日本の社会の隅々まで行き渡っていて、とりあえず謙遜しておくのが無難みたいな処世術は確実に存在する。

「お子さん、すごいですね」と我が子を褒められて本当は「そうですか!ありがとうございます!」とニッコニコで答えたいところを我慢して「いえいえ、うちの子なんて…」とお茶を濁すことが実生活では多々ある。「あの人、自慢げで感じ悪い」と思われるリスクを恐れるからだ。

 

冒頭の記事の投稿者が、もしユーモアとしてこれを書いたのだとしたら、謙遜のつもりだった可能性がある。「色々努力したのにうちの息子は本当にダメ。(でも本当は自慢の息子なのよ)では私、卒母します。」の()部分を省略しちゃ可能性。そこを読み取るか否かは読み手次第みたいになってしまっている。

当の息子が自分の母の文章としてこれを読んだらどういう気持ちになるんだろう。お母さんのキャラを熟知してて「母ちゃんまたこういうこと言ってるよ」くらいで済むなら、外野が口を挟むまでもないのだけれど。

でも自分のところの親子関係に置き換えたら、やっぱり謙遜は程ほどにしよう。処世術としての謙遜までは否定しないけど、不特定多数の人の目に触れるところで親が自分の子供をけなす行為は好きになれないなと今回思った。