未来メモリー

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脱ブラック労働と脱体育会と表現の自主規制の根っこは同じ


「お酒飲みながらしゃぶるのがうみゃあで」 サントリー「コックゥ〜ん!」CMに「下品」「下ネタ」と批判相次ぎ公開中止へ - ねとらぼ

この記事を読んで思ったこと。

以前こんなことを書いた。

元体育会系の私が、体育会系の役割は終わったと思う理由 - 未来メモリー

自分自身が体育会系部活動の経験があるから、体育会系といえば精神論の重視、セクハラパワハラに肯定的、滅私奉公が良しとされる気質、と、ブラック労働的な働き方とすこぶる相性が良いことはよく知っている。

いずれも、今の時代においてようやく否定され、忌み嫌われ始めてる考え方である。要は「時代に合っていない」。

 

ところで、今でこそわからないが、少なくとも私が就活をしていた10年前くらいには、サントリーは体育会系部活動出身の学生を好んで採用することで有名だった。サントリーはこのCMを面白いと思って作ったのだろう。しかし残念ながら「時代に合っていなかった」。

 

人間の社会が成熟するにつれて、よりルールを守り、他者に配慮し、理論的にスマートにお上品に振る舞うことが求められることは、避けられないことだと私は考えている。それは、もう何年も前から指摘されているが、AIの進歩によって失われる職業がたくさん出てくると予想されるにも関わらず、AIの進歩が止められないのとどこか似ている。

遵法意識、脱精神論、脱セクハラパワハラ、脱ブラック、これらを求めてきたのは間違いなく私たちだ。そこを求めておきながら、過度な表現の自主規制は求めないということは、果たして両立するのだろうか。

誤解をされたくないのは、私は過度な表現の規制には反対だ。皆が皆、炎上を恐れて尖ったものを作らずお行儀よく、そんなのつまんない社会だと思う。炎上上等で社会に喧嘩を売るような尖った精神や、ぶっ飛んでいてむちゃくちゃな表現者から優れた創作物が生み出されることはたくさんある。

でも、論理が優先されて遵法意識が尊重されるという流れに時代の舵をきった以上、もうこの流れは不可逆なものではないだろうか。私たちがAIの進歩を放棄しない、できないのと同じように。

自主規制含む表現の規制を、いい悪いで論じたいのではない。ただ、作ってしまったこの流れの渦中に私たちは今あって、流れを遅くすることは可能でも、止めることはできなくて、社会はよりお行儀よくスマートな方向に進んでいく。たとえ人間が何度絶滅してやり直しても、技術が進歩して社会が成熟すると、今と同じ道を辿るのが必然ではないかとふと思うのだ。

行き着く先が、おふざけなんか許されなくて、お行儀よくスマートなだけの「つまんない社会」でも、多分もうそこに向かうしかないんだろうと思う。どうしてもそこに向かいたくないのなら、お行儀よくスマートな社会から受けられる数多のメリットも放棄せざるをえないのではないだろうか。そしてこれは日本だけの問題じゃない気がする。

 

追記-------

本日(7/10)シロクマ先生が書いていたことと、この記事に共通点を感じたので、言及させて頂く。


「あなたのセックスの正しさ」が問われる社会が近づいてくる - シロクマの屑籠