未来メモリー

未来の自分に誇るメモリー

批判を拒絶しない「議論の出来る人」を育てるにはどうしたらいいのか

私が高校生の頃、ちょうど高校生でも携帯電話を持つのが当たり前になりつつある時期だった。私の両親は厳しく、特に父が厳しかった。周りの友達が携帯電話を持ち始めるのが羨ましくて、ある日ついに父に「私にも携帯電話を買ってほしい」と直訴した。そこで父が放った言葉に、当時の私はドン引きした。

「高校生に携帯電話なんて必要ないとお父さんは思っている。でもどうしても必要で持ちたいと言うなら、その内容をレポートにまとてめてお父さんを納得させなさい。もちろん『皆持ってるから自分も欲しい』なんて理由は駄目だぞ」

ハァ?何言ってるの、この人。親にレポート書いて納得させろなんて普通言わないよ。

そう思ったのだが、口には出さなかった。

父の性格上、これはむしろきっちりレポートを書いて読ませれば、本当に携帯を買ってくれるだろうと思ったからだ。

「わかった、じゃあレポートを書く」と答え、携帯ショップでカタログやパンフレットを集めてきて、自分は携帯のどの機能をどんな風に使いたいのか、買うとしたらどの機種がいいのか、パンフレットの写真や図も切り貼りして、レポートにまとめた。確かルーズリーフに3枚ほどになったと思う。

完成したレポートは自信満々で提出した。

父はそれを読み、携帯を買ってくれた。

 

そんなことをふと思い出したのは、この記事を読んだからだ。


いまの若者は「批判」を「悪口」や「人格否定」と捉えている?今井絵理子さんのツイートが意外な方向で議論を呼ぶ - Togetterまとめ

この論点、自分にとってはすごく目から鱗で面白かった。自分に少しでも批判的なことを言われると、自分が全て否定された気がして拒絶してしまう人間が意外に多いという話題。確かになぁと、思い当たることはたくさんある。ネットでも、現実世界でも。

皆が皆、理屈っぽくある必要はないが、もし世の中が議論が出来ない人間だらけになってしまったら、幼稚で進歩のない社会になるだろう。

自分の意見を述べること、人の意見を聞くこと、それをもとに議論すること、やっぱりこれらの技術はすごく大事だ。

 

身近なところで、たとえば自分の子供を、きちんと議論できる人に育てたかったらどうすればいいのだろうか。

理想を言えば、学校でもっとディベート形式の授業を取り入れてほしい。学校という公の場でクラスメイトという対等な立場の相手と議論ができるようになったら、ディベートに勝っても負けても子供自身にとって有益な体験になるはずだ。

しかしおそらくそれは難しい。もちろん積極的にディベートを取り入れている学校はあるのだろうが、どうしても学校や教師の裁量によるところが大きいというのが現状だろう。

そうなると、やはり家庭で何とかするしかない。そこで今私が考えているのが、子供の「話す力」「聞く力」を強化したいということだ。

 

「話す力」

自分の意見を主張するためには、相手に誤解を与えないよう、自分の意見を正確に伝える力が必要となる。

更に、自分の言いたいことが相手に伝わっていないときに、相手の受け取り方に問題があるのではなく、自分の伝え方に問題があるのでは、伝え方をもっと工夫しなくては、と考えられるようになってほしい。

 

「聞く力」

まずは相手の意見を最後まで聞くこと。自分の意見と違うからといって、話を途中で遮ったり、聞くのをやめるなんて以ての外だ。

相手の意見を全て聞いて、理解できなかった点やわかりにくかった点はその場で聞き返して、相手の意図を確認してほしい。理解できなかったからといって、黙って自分の想像で相手の意見を補完するのは誤解の元となるので良くない。

 

こんなことを考えながら、子供たちと会話をしている。

子供に対して、レポートを書かせる親はさすがにちょっと面倒くさいと思うが、伝えることと聞くことの重要性を教えてくれた自分の親には感謝している。自分の子供も、伝えること、聞くことを嫌がらない大人になってほしい。