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未来メモリー

未来の自分に誇るメモリー

子供の風邪で仕事を休むときにもっと堂々としたい

ただいま繁忙期。そんな中、上の子と下の子がかわるがわる風邪をひいた。先に発症したのが上の子。幸い高熱にはならず、一日で症状が治まった。後から発症した下の子もそう時間がかからずに回復するだろう。

子供が風邪をひいたときに仕事を休むのはいつも自分。仕事における収入も責任も拘束時間も夫の方がぐんと大きいから。それはあまりに明確なので何の疑問の余地もなく、不満もない。

私の職場は理解ある同僚に恵まれ、子供の体調不良や行事で度々休むことを誰も責めない。それどころか心配し、労ってくれる。私が休んだときの急ぎの仕事は、嫌な顔をすることなく他の人がカバーしてくれる。こんなにありがたいことはない。

それでも子供が風邪で仕事を休むときは、とても心が痛む。「ああ、また○○さんにカバーしてもらっちゃうんだろうな」と仕事が増えているであろう同僚に申し訳なく思ったり、「復帰したら真っ先にあれやって、これやって、△△さんに連絡して」と家にいて風邪の子供が横にいるのに、ぼんやり仕事の内容を考えたり。

そして何より、隣で辛そうにしている子供を気遣っていない自分にふと気付き、すごく自分に幻滅する。この瞬間が一番きつい。こういうときうっすらと仕事辞めたいなと考える。自分が仕事をしてなかったら、余計なことを考えずに子供を気遣うことに専念できるのに、と。でもそれは単なる気持ちのふらつきだから、そんな気持ちは一瞬で上手に封じ込めるのだが。

諸々の条件が比較的恵まれている私でさえ、子供の都合で急に仕事を休まなくてはならなくなったときはウダウダ一人で葛藤し、心が下向きになる。ましてや、普段からパートナーの理解がなかったり、職場の人の当たりがきつい環境で働いていたら、仕事を休むときの精神的ストレスは相当のものになるだろう。

自分が仕事を休むことに対して申し訳ないなと思うのは、実に謙虚でしおらしいことだと思う。でも休む原因が不摂生とか本人の自業自得ではなく、やむを得ないものだったときも、どうして私はこんなに心苦しく思わなきゃいけないんだろう。「仕方ないから休むね」ってあっさり言い放てる度量がほしい。

たまに労働者としての権利を堂々と主張できる人がいるが、そういう人は「ふてぶてしい」やら「空気が読めない」やら評されて、変わり者扱いされることが多い。でも本来なら、そうした主張がちゃんとできる人が「普通」で、やたら低姿勢に申し訳なさそうにする人が「考えすぎの変わり者」になるべきだ。

そういう訳で、ちょうど子供が横で寝ているので今から昼寝をする。