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文章を読むとき、あなたは誰の声で再生してる?

好きな漫画がアニメ化したときにわくわくしながら放送を観たら「このキャラクターの声はこのイメージじゃない!」と憤慨した経験はないだろうか。

私はある。
でも「じゃあどういう声だったら良かったの?」と自分自身で突き詰めて考えると、それは掴めそうで掴めない靄のように具体的に考えるほどわからなくなり、イメージと違うと思ったはずのアニメの声優の声に上書きされてしまう。

近頃は漫画を読むことも減ったので、こういう経験は滅多なくなった。
しかし最近ではWeb上の記事を読むときに、これに似た現象に遭遇している。

 

さて、会ったことのない他人の文章をWeb上で読むとき、私たちはその文章を誰の声で再生しているだろうか。


無意識に「自分の声」で再生している人が多いのではないかと推察する。少なくとも私は文章を読むときは自分の声で再生している。あまり意識したことのない人は、一度脳内の声を意識しながら文章を読んでほしい。

私の場合、書き手に対して固定したイメージのないニュートラルな状態のときは間違いなく地声の自分が読む。
ところが書き手に対して何らかのイメージが自分の中でできあがっているときは、自分の声がそのイメージを演じるようだ。演技経験もないのに、ちょっとなりきりながら文章を読み上げる脳内の自分の声。
特にブログのように書き手の顔が比較的意識しやすい媒体の場合、ハキハキしたおばさんだったり、理知的なお姉さんだったり、明るいお兄さんだったり、ひょうきんなおじさんだったり、書き手のイメージを自分の声がそれっぽく演じている。気がする。

だからこちらの勝手なイメージで色付けしていた文章の書き手に実際に会ったら、アニメの声優にギャップを受けたように「何かイメージと違う!」と思うだろう。もっとも「じゃあどういうイメージだったの?」と聞かれたら、それもまたアニメのときのように、上手く説明できないまま終わるのだろう。

 

ここまで書いていて思ったのだけど、そもそも読んだ文章を自分の声で再生するのって本当に多数派なのだろうか?

ちょっと調べたら、面白い記事を見つけた。

本を読むときに頭の中で「声」が聞こえる人と聞こえない人がいることが判明 - GIGAZINE

とりあえず自分が多数派なのは間違ってないみたいだけど、脳内の言語化と認識のプロセスがまだまだ研究の途上とは面白い。

 

趣味でブログなんかやるくらいなので、私は喋ることが大好きだけど考え事も好きで、黙って考え事をしているときは頭の中でけたたましく自分の声の独り言が流れてる。

で、頭の中で考えた言いたいことに口が追い付かないせいか、早口だとよく指摘される。

文章を読むのも早い方だと思う。早口の自分が早口で声色を使いながら読み上げる文章を、Web上であれこれ乱読している。けたたましいが楽しい。

身の周りの人の脳内の声はどうなってるんだろう。あとで家族に聞いてみよう。