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結婚とは「察して欲」と決別すること


ずっと一緒にいたいし、結婚してもいいと思うけど、「結婚したい」ではないと言われたとか何とか - あさえ がんばる

こちらの記事、同じ女性ということで要所要所で共感しながら興味深く読んだ。

そのうえで、まだ結婚してから10年足らずの若輩者の思ったこと。

 

夫と結婚してから自分が成長したり変化したことは色々あると思うけど、一番大きな変化は夫に「察してほしい」と求めないようになったことだ。

恋人同士の時、好きな人から自分の思いを察してもらい、先回りで何かしてもらうのは嬉しいし楽しい。あるいは自分が相手の何かを察して相手を喜ばすのも楽しい。

でも結婚して一緒に暮らし始めてからも、察してほしい、察したいという関係を続けていると、どこかで行き詰まる。

何しろ一緒にいる時間が長くなるので、察してもらいたいことが格段に増えてしまうのだ。

「私はこう思っているのに、相手はわかってくれない」

そういうイライラだけが少しずつ心の隅に埃のように溜まり、たまに相手が察してくれても「やっと気づいてくれた」としか思えず、気持ちはいまいち晴れない。

結婚して間もない頃、自分自身がそういう状態に陥り、あるときふと気づいた。

 

察してもらうことを期待するより、自分のしてもらいたいことを素直に相手に伝えた方が早い。

それからの私は、察して欲と決別した。

 

「察してほしい」という欲望を捨てることは、相手への諦めではない。自分が一つ成長するステップだ。

 

「これくらいのことも、言わなきゃわかってくれないの?」

そう思うのはやめた。

うん、それくらいのことでも、言わなきゃ相手には伝わらないのだ。

だって相手は自分とは別の人間なのだから。

言葉にせずに共有したいと思うのはわがままだ。

共有したい何かがあるなら、こちらも言葉を尽くして説明する義務を怠ってはならない。

他人と婚姻という契約を結んで、他人と一緒に共同生活をするために、それは結構重要なことだと思う。

私があなたから察しているだけの事を、あなたは私から察してはくれない。それは単純に察することができるかできないかという差であるしそれを埋めることができないのはわかっている。


でも私が察してあなたの望む事をかなえても
あなたは察してかなえてくれることはなくて
言われなかったからわからなかった。僕は察することができないから。
と言われてしまうその悲しさを私はどうしたらいいの

冒頭の記事の彼女の文章の引用だ。

その気持ち、すごくわかる。以前の私の考えていたことそのものだから。

察してもらうのは楽だ。自分が言葉を尽くさなくても、相手が動いてくれる。そして察してもらいたい自分の気持ちを言葉にして、相手の目を見て伝えるのは、すごくエネルギーのいることだ。

でも長く一緒に暮らしていきたいのなら、そこにエネルギーを使うことを惜しんではならない。「自分はこうしてほしいんだ」と少し勇気を持ってその都度伝えることで、ちょっとした行き違いや、感覚のずれを、まだ綻び小さいうちに修正できるから。

そして、ちょっとしたズレを小出しで埋めるように努力していくうちに、自分のしてほしいことを相手に伝える技術も上がる。

「この人にはこういう言い方をしたほうが伝わりやすいな」とか「この時間帯なら機嫌がいいから、そこで言う方がいいな」とか。

そこまでできてようやく、恋人同士の駆け引きではなく、夫婦の駆け引きになる。