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未来メモリー

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過疎地廃止で都市集約と、残存させて補助、どちらが低コストなのか


高齢ドライバーが事故を起こしているけれど車が無いと生活できない高齢者もいるということ - ネットの海の渚にて

この記事を読んで、高齢ドライバーの事故が注目される今、高齢者の運転免許と過疎地における車事情を考えるべきタイミングなのだろうと思った。

地方都市に住んでいると、ローカルニュースの題材に過疎化問題は頻繁に出てくる。中国地方はかなり深刻だ。

 

過疎地に住む高齢者が、安全に不便なく暮らせるようにするためにどのような方法がベストなのだろう。

自動運転の車に寄せる期待は大きいが、実用化、更には低価格化による一般化に今からどれくらいの時間がかかるのかというところがまだ見えない。

技術の進歩を待ちながら、政策として、現在過疎地に住む高齢者に今後どのように暮らしてもらうのか、いよいよはっきりと社会全体で舵を切る必要がある。

 

高齢者を交通の便の良いところに集めて住まわせるのか。それとも、過疎地への物流や交通インフラの補助を強化するのか。

それぞれにメリット、デメリットがある。

高齢者の都市部への移住を促した場合、環境の変化による認知症発症のリスクや、古い家屋家財の処分と新しい住居の賃料等にかかる金銭的負担。

過疎地への物流や交通の支援をした場合、明らかに採算が取れない地域での、事業者の金銭的負担。

どちらの選択肢も多額の負担が発生するため、国の税金投入は不可避だ。しかし、公的負担をするからこそ失敗は避けなくてはならない。

 

日本全体でどちらの選択にするか方向性を決めた場合、どちらの方がより低コストで済むのだろうか。財源が限られている以上、コストという一面のみでジャッジして、方向性を定めるべきだと思う。

難しいのは、方向性を定めるとして、これを主導するのは政府しかないという点だ。

選挙のとき「こちらの方が低コストなので、過疎地に住む高齢者はこうしてください」とハッキリ言えない。示せない。そんなことをしたら大事な票田である高齢者の機嫌を損ねてしまう可能性がある。

しかし過疎地に住む高齢者が「どうしたいか」を尊重する時間的猶予はもう少ないだろう。本来なら尊重されるべき終の棲み家への思いを切り捨てざるを得ないのは、今までこの問題を先送りにしてきたツケだと理解するしかない。

これから先の、日本全体の過疎地の扱いについて、せめて二つの選択肢にかかるコストの試算が出ることを待ちたい。