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未来メモリー

未来の自分に誇るメモリー

それは無邪気な強者の論理

この記事を一読して


「長時間労働撲滅運動」には怖気がする。気持ち悪い。 - Outward Matrix

以前この増田が話題になったことを思い出した。

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160714095611
子育て死ぬ系の記事が理解も共感も出来ない - はてな匿名ダイアリー

そのときに自分はこんなことを書いたのだった。

キャパシティの大きい人、小さい人 - 未来メモリー

あるとき、自分のキャパシティの目測を誤ったことがある。持っている容量以上に中身を詰め込みすぎたのだ。

結果、心を病んだ。

幸い、周りの支えがあって病はすぐに完治した。本当に幸運だったと思う。
しかしその経験がとても辛かったので、以後、自分のキャパシティを測り間違えないように、すごく用心しながら生活している。

人間のキャパシティの大きさは、その人の個性だと思う。

少しのことでいっぱいいっぱいになる人もいれば、驚異的な量のタスクをこなして涼しい顔をしている人もいる。

更に言うなら、トレーニングをして少しずつ生来のキャパシティを増やすことは可能だが、それは時間がかかるし、やり方を失敗すると心身を壊すというリスクがある。
だから多くの人は生まれ持ったキャパシティで勝負をしていくしかない。

言及先の記事の方は、仕事が楽しく長時間労働が苦ではないという。私のような凡人からしたら羨ましい話だ。

ただ、それが多くの人にとっては当たり前ではないということは、どうかよく心に留めてほしい。

 

オリンピックの陸上選手のタイムを皆で目指す体育の授業より、各々の力を吟味して各々のベストタイムを目指す体育の授業にしたい。

長時間労働撲滅を願う人の目指すところはそこだと私は考えている。

 

もちろん言及元の記事で懸念されているとおり、オリンピック記録を到底目指すレベルにない人が、本気でオリンピックを目指す人の足を引っ張ったり、陰口を叩いたりすることはあってはならない。

 

ただ、私たち凡人がそういう人のことを「よくやるな」と尊敬半分、呆れ半分の眼差しで見ることくらいは受容してほしい。

 

それくらい、長時間労働が苦にならないというのは、生まれ持った恵まれたキャパシティの大きさのなせるわざなのだから。

 

みんなが定時になったら「お疲れさまでーす」と一斉に仕事を切り上げるけど、たまに「自分はまだ仕事していきます」と言う人がいて、それに対しても「そうですか、じゃ、私はお先に」と返して帰る。そんな光景が当たり前になればいいな、と思う。

もしそんな時代が来たら「自分はまだ仕事します」と残る人は多分そんなに多くないだろうけど、少なくとも私は邪魔しないようにするから心行くまで好きなだけ仕事をしてもらいたい、と思う。