未来メモリー

未来の自分に誇るメモリー

今を見直すために便利さや豊かさを捨てることは可能か

あれは教師だったか、親だったか。

昔、学校の授業で「環境破壊はいけない」みたいなことを学習したときに「じゃあもう人間はみんな原始時代みたいな自給自足生活に戻ればいいんだ。そうすれば環境問題なんて全部解決する」と言った私(小2病…?)は、「人間は一度便利なものに慣れたら二度と前と同じようには戻れないんだよ」と大人に苦笑しながら諭された。

 

文明の衰退は有り得るが、やり直しや見直しは有り得ない。

誰と話したのかは覚えてないが、話の内容はすごく私の心に残っている。

 

日本のサービス業はレベルが高過ぎて、みんなそれに慣れてしまった。時間帯指定の出来る宅配便も、24時間営業のコンビニも、年末年始でもごく短期間しか休業しないスーパーも、当たり前となった。

女性は平時でも外に出るときにはそれなりに流行に沿った小綺麗な格好をするようになり、定期的に髪を整え、老いてもみすぼらしく見えないようにメイクを施すことがマナーとされている。

今後はますます技術が進歩し、車の運転やレジ打ちどころではない様々なことが自動化し、人間の手を煩わせないようになるだろう。

 

それがいいとか悪いとか、そういう問題ではない。

ただ私たちは便利な方へ、豊かな方へ、前へ前へと進むしかない。たとえその果てに何かの衰退が待ち構えていたとしても。

 

ミニマリストの流行は続かなかった。

文明に抗い、儲けを求めず、あえて不便を享受しようとした彼らは、最初こそ注目されたがそれも一時のもので、いつしか「変わり者」とくくられるだけの存在に落ち着いた。

 

便利なもの、豊かなものの見直しや、やり直しは多くの人の心は動かさないのだ。

どんなに抗っても、進む技術に、便利さに、豊かさへの渇望に、私たちは呑まれ流されるしかない。

 

そして結局上手に流される者ほど豊かになり、抗ったもの、立ち止まった者ほど苦しくなる。

年末年始もしっかり休むスーパーは儲け損ね、ノーメイクに適当な服の女はダサいと笑われ、システム化されたあれこれを使いこなせなければ効率が悪いと罵られる。

 

立ち止まりたい人は、流れに抗いたい人は、どうすべきなのだろうか。

やり直し、見直しは効かないのだから、違う方法で実現するしかない。例えば新たな価値の創出。それはまさに宗教のもつ特徴に近いだろう。そう考えると id:nyaaat さんがこのようなアプローチをしたのも頷ける。

 
宗教は金を超えられるか(猫になりたい班) - ニャート

 不可逆な文明、凝り固まった勝敗の序列、その脇道に逸れる生き方を私たちはどれだけ自分自身に許容できるのだろう。

 

そんなことをもっともらしく考えながらも、隙あらば流れにのりたい、序列の上の方にいたいという気持ちも捨てられないのは何かの業なのだろうか。