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未来メモリー

未来の自分に誇るメモリー

最も使い道に困るピアス

ファッション

ちょうど一年くらい前に夫に買ってもらったピアス、結局一度も身に付けていない。

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マエケン。(この写真、スマホで撮ったら二人分の顔認識された。)

家族でカープグッズショップに行ったときに珍しく夫が「ピアス買ってあげよう」と言って買ってくれた。「(買ってもらわなくても)大丈夫だよ」と遠慮したけど、買ってくれた。そしてマエケンは渡米した。

マエケンに罪はないが、ネタ系ピアスをつけこなす歳でもないし、マエケンドジャースだし、どんなに勇気を出してもこれはつけられなかった。

メルカリやってないけど、メルカリとかではこういうのも売れるのだろうか。それはメルカリをなめすぎなのだろうか。

 

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ちなみにマエケンピアスと同時にこれも買ってくれた。これは既に何回かつけた。観戦用。手作り感がすごいあるけどかわいい。今年も使う機会あるかな。

意味ある努力と無意味な努力が予めわかれば、人生はもっと楽なのに

独白


コミュニケーションのプロトコルを「茶番」って呼ぶのは、身に付けてからにしましょうね - シロクマの屑籠

他人とコミュニケーションを取ることは幼い頃から嫌いじゃないし、それが自分の強みであるという自覚のある私は、この記事を納得しながら読んだ。自分の二人の子供たちにも、最低限の適切なコミュニケーションが取れるようにかなり意識して色々話しているつもり。

 

シロクマ先生はこの記事でコミュニケーション能力の大切さを説いた。この呼び掛けを契機に殻を破って努力してコミュニケーション能力を向上させる人がいたのならそれはとても美しい。

でも、コミュニケーション能力って、個人差によって、努力で高められる上限があるんじゃないかと最近私は考えている。プロ野球選手になりたくて一生懸命に野球を練習したとしても、運と才能がなければプロ野球選手にはなれないように。

 

ところで私は今の時代しか生きていないから昔のことはわからないけど、少し上の世代を見て想像するに、今と違って昔は努力したことが無駄になることはあまりなく、とりあえず既定路線通りの努力をしておけば、ステレオタイプの幸せを得られる可能性が高かったように思う。体育会系の部活動、受験勉強、大企業への就職などなど。そのあたりのことはこの記事に書いたことに通じる。

元体育会系の私が、体育会系の役割は終わったと思う理由 - 未来メモリー

でも今は、従来なら通用した既定路線の努力をしたのに、 実を結ばないケースが増えているのではないか。それは社会が成熟して成長が緩やかになっていることとおそらくリンクする。

 

コミュニケーション能力も、あるに越したことはないが、身に付けたからといってそれがその人の幸せに直結するのかと考えると疑わしい。もとよりコミュニケーションが得意な人は更に磨いて自分の強みにすればよいが、苦手な人、どんなに努力して磨こうと思っても頭打ちの人に、無理強いして身に付けさせたところで、それがその人に本当に幸せをもたらすのだろうか。近年特にその存在が広く認知されつつある発達障害を持つ人にとっては、尚更だ。

ステレオタイプの努力が一部の人にとってしか適用されないような幻想になりつつあるのだから、必要な努力、不必要な努力も人によって違う。

 

多分、これからはもっと、どこに努力をすべきか、個々人が自分の適性に合わせてシビアに取捨選択しなければならない時代になると思う。

 

でも努力の取捨選択ってきっとすごく難しい。「自分はこれが強みだから更に強化するために努力しよう」「これは苦手だけどこの能力はまだ上げられるからもう少しだけ努力しよう」「これは苦手だしこれ以上の努力は無駄だからここまででやめよう」こんな風に、間違うことなく選んだり捨てたりできたら、皆が効率的に適性に合わせて能力を上げられるのだろうな。

でもそれはそれで、未来に起こることをネタバレしちゃってるくらいつまらないことなのかもしれない。 

今秋に映画化の「ナミヤ雑貨店の奇蹟」最後に全てが繋がるファンタジックミステリー

書評

※ネタバレはありません。

東野圭吾の書評が続く。2017年9月に映画化される「ナミヤ雑貨店の奇蹟」

悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。
そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。
廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。
時空を超えて過去から投函されたのか?
3人は戸惑いながらも当時の店主・浪矢雄治に代わって返事を書くが……。
次第に明らかになる雑貨店の秘密と、ある児童養護施設との関係。
悩める人々を救ってきた雑貨店は、最後に再び奇蹟を起こせるか!?

あらすじはAmazon商品紹介ページより。
「秘密」や「時生」の流れを汲む、ファンタジー要素のある作品。
限られた空間のタイムスリップ(時空間のねじれ?)という設定が物語を動かし、現在、過去と様々な場面を行き来しつつ、最後にあらゆる話が繋がってまとまるのが快感。
未読の人はあらすじを読んだだけでは、どんな物語かいまいち予想できないだろうが説明が非常に難しい。この通りの内容で、これ以上説明できない。
「雑貨店主による手紙のお悩み相談」
「幼くて愚かだが憎めない3人組」
「人の心を動かすある名曲」
これらを軸に、まるで短編集のように、章立てされたいくつかのエピソードが悩み相談という形で現れては完結するのだが、実は各々のエピソード同士にはどこかで繋がりがある。
エピソード同士のつながりが意外なので「あっ、これはここと繋がっていたのか」と腑に落ちると次のエピソードが気になって仕方なくなるつくりで、私は一気に読了してしまった。

登場人物が魅力的なのもまたいい。

私が特に好きなのは三人組のリーダー敦也、売れないシンガーソングライター松岡克郎、天賦の才能を持つ歌手の水原セリ。

映画版キャストを調べると、敦也が山田涼介、松岡が林遣都、セリが門脇麦

うっ、ううーーん…。それぞれの役者は決して嫌いじゃないんだけど何かちょっとずつ地味だな…。個人的には期待外れ。

映画版のキャストで登場人物のイメージが固定されてしまう前に、原作を読んでみてもらいたい。

でも本音を言うと東野圭吾のこの手の小説の最高傑作は「時生」だと思う。「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の帯に「東野圭吾史上もっとも泣ける感動のミステリー」と書かれているけど、「時生」は超えていないと思うのよ。

ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫)

時生 (講談社文庫) 

我が家のひな祭りとちらし寿司

料理

仕事して帰ってきて子供を歯医者に連れて行って、ひな祭りだからちゃんとちらし寿司作った私。めっちゃ偉い。めっちゃ頑張った。

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しかも我ながらそこそこ美味しく出来た、今日のちらし寿司。

ただね、国産のハマグリがすごく高くて。4個しか入ってないのに800円とか。中国産のハマグリだったらお手頃値段だけど、何となくね…買う気にならなくて。ハマグリすまし汁をアサリの味噌汁に変更した。子供たちごめんよ、貧乏性で。

 

さて、そんなこんなで今日は頑張ったから、明日は家族の誰よりも遅く起きようと思う。パン買ってあるから、お腹が空いたらみんな自由に食べておいておくれ。
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ハッピーひな祭り。

マイナンバー制度の一番の狙いはお役所書類の電子化促進なのかも

暮らし

確定申告でお忙しくしてる皆さんこんばんは。平成28年分、すなわち今月提出の確定申告から本格的に導入されたマイナンバー制度。

マイナンバーを記載した確定申告書を紙で提出するためには顔写真付きマイナンバーカードのコピーか、郵送で届いたマイナンバー通知カードのコピー+免許証などの身分証明書のコピーを添付しなくてはいけない。面倒くさい。でも電子申告ならそれらが不要。

 

マイナンバー導入当初は、すわ国民総背番号制度か監視社会かと騒がれたが、何のことはない、マイナンバー導入したのは単にお役所が書類の電子化を進めたかったという話じゃない?という気がしてきた。 全部データで管理できたら、お役所側の事務負担も軽くなるし、ミスも減るだろうしね。

マイナンバー制度を導入して、マイナンバー証明のためにあれやらこれやら必要な提出書類を増やされることで、「電子申告ってよくわからない」「データで送ると本当に提出できてる気がしない」「やっぱり書類はハンコついた紙で保管したい」なんて頑固な層も、いよいよ観念するのでは。

 

クレジットカードはよくわからないからと頑なな現金派がそれなりの数いるように、大事な書類をデータで提出や保管することにすごく抵抗を持つ人も多分それなりの数いる。

紙での現物提出が面倒になるように仕向け、現物派にジワジワとプレッシャーをかけるという役割も、マイナンバー制度には期待されているみたいだ。

クレジットカードや電子マネーのポイント還元が現金支払いより優遇されることも、考えてみれば同じ理屈なのかも。

昨日の記事にも通じるけど、技術や便利についていけない、無理してまでついていきたくない人も、ついていかざるを得ないように、少しずつ着々と外堀を埋められている。何だか今はそんな時代だ。

話を聞かない老人に怒るバスの運転手

独白

バスに乗っていたら突然、車内アナウンス用のマイクを通して「あっ!ダメダメ早いよ!」と運転手の怒った声が聞こえた。

どうやらバスが停止している合間に運転席脇の機械でICカードにチャージをしようとしたおばあさんが、運転手の必要な操作を待たずに手元のお金を機械に入れてしまったらしく、入れたお金の一部しかチャージされずに残りは小銭に両替されてしまったらしい。

「こちらでボタン押すのを待ってもらってからお金を入れてくれないと、ちゃんとチャージできないよ」

運転手の声には苛立ちが滲み、会話の内容はがら空きの車内に丸聞こえだった。

「ごめんなさい。ご迷惑おかけして」

モゴモゴと謝りながら、おばあさんは両替口から出てきてしまった小銭をかき集め、気まずそうに元の席に戻った。

車内の雰囲気が重苦しくなったことに気付いたのか、運転手は取り繕うかのように、今度はマイクを通さずに

「次は気を付けてね。1000円だけならチャージはできてるから」

とおばあさんに声をかけていたが、一度淀んだ空気は晴れなかった。静まり返った車内の中で「次は、○○です」と次のバス停を告げる自動アナウンスだけが空虚に響く。

そのアナウンスを聞きながら、私はぼんやり考えていた。

ああ、これって小さな一つのディストピアだな、と。

 

色んなものが機械化されて便利になって、現役の若い世代は当たり前のようにそれを使いこなすけど、高齢者がそれに適応するのは難しい。

使い方をいちいち聞けば煩わしがられ、一方で、自分の勘で使おうとすると機械がエラーを出したりする。

おそらくあのおばあさんも、さっさと用を済まそうと運転手に気を遣ったゆえの、先走りだったのだろう。

しかし自分は気が回ると思い込んでる高齢者ほど、無用な先走りをしてしまいがちなのも、また事実だ。「あー、ハイハイ、そうだね」と相手の話をきちんと聞かずに動き始めて、結果余計なことをしてしまう高齢者はとても多い。

私たちはあの運転手にも成りうるし、あのおばあさんにも成りうる。

話を聞かない高齢者に、高齢者はそういうものだと余裕を持った態度で対応しなくてはならない。

操作方法がわからない機械に遭遇したときは、思い込みで適当に触らずに、きちんと使い方を理解しなくてはならない。

どちらも、相当心がけておかないと難しい。

技術が進んで色々なことの機械化、自動化が進んでも、それを使いこなす人間の心はきちんと追い付けるのだろうか。

変わりたくない人を言葉で変えるのは難しいが、言葉を放つ権利は皆にある

独白

さっき思い付いた今言いたいことはタイトルが全て。

変わりたくない人や変わろうと思ってない人には、どんなに熱意を込めて言葉を尽くしても響かないし、変わらない。その人にだってそれまで積み上げてきた大事な思いや信念があるから。

でも、変わってもらおうとして言葉をかけることは決して無意味じゃない。たとえその言葉が結果に繋がらなくても。

信念に自信を持ち続けて変わらない自由もあれば、曲がらない信念に挑戦し続けて言葉をかけ続ける自由もある。

言葉をかける方も、言葉をかけられる方も、いつも平等に自由だ。

 

もう少し露骨に言うと、批判を気にしない自由があるなら、それと同等に気にされなくても批判を続ける自由もあるということだ。

 

 

そして蛇足。

批判を気にしない自由は誰にでもあれど、他者からの批判で自分の力だけではたどり着かなかった知見を得るのはとても快感だ。批判も向き合って一度咀嚼してみれば、自分の信念はそのままに、形を変えて自分の血肉になるかもしれない。

リアルで言えないことをブログに書き、コメントにて学ぶ - 未来メモリー